2018年7月28日土曜日

閑静な住宅街にある彫刻の森・ブールデル美術館

 モンパルナスの静かな住宅街の中にあるブールデル美術館。ロダンの弟子アントワーヌ・ブールデルのアトリエが美術館となっています。大広間には神話をテーマにした大作、連作が、庭園にも大小の沢山の作品が、アトリエにも使用した道具、数少ない絵画なども展示されています。ロダン美術館程広くなく、お客さんも多くなく、(ロッキングチェアーなどもあり、)ゆっくり鑑賞できるところが嬉しい。パリ市運営で入場無料です。オーディオガイド(5€)は残念ながらフランス語・英語・スペイン語のみです。ベートーヴェンの連作が素晴らしい。


ブールデル美術館全景


天井近くの大作「アフロディーテ または 美の誕生」
「ポーランドの叙事詩」

「弓を引くヘラクレス」

「詩人」

「瀕死のケンタウルス」

「ラ・フランス」

「アルベアール将軍(アルゼンチン)の騎馬像」

シャンゼリゼ劇場ファッサード・レリーフ「音楽」


シャンゼリゼ劇場ファッサード・レリーフ「悲劇」

シャンゼリゼ劇場ファッサード・レリーフ「建築術と彫刻

シャンゼリゼ劇場ファッサード・レリーフ「演劇」

シャンゼリゼ劇場ファッサード・レリーフ「ダンス」

庭園の「騎馬像」

「オーギュスト・ロダンの胸像」

「果実」

「マリー・ラプラード女史の全身像」

ベートーベンの像 5作

「昼と夜」

裏の庭園にも沢山の作品が

「ジャンヌダルクの像」

アトリエ

使用された各種の道具

2階にも沢山の作品が

2階から庭園をみる。

シャンゼリゼ劇場を設計した「オーギュスト・ペレの像」


画家「アングル」の胸像



2階にある巨大レリーフ


天井から陽が差すアトリエ




























2018年7月22日日曜日

相思相愛、ショパンとパリの足跡を辿る。


 今まで、パリの公園や美術館などを紹介してきましたが、今回の記事はパリ中を2日間回ってきた(自分で言うのもなんですが)大作です。長文、写真多数ですので、興味の無い方はスルーして下さいね。

 今回は「ショパンの足跡を追う」がテーマです。
ポーランド生まれのショパンですが、実は彼のお父さんはフランス人でした。皆さんご存知でしたか?私はこの記事を書くために調べて初めて知りました。ロレーヌ地方で生まれて、16歳の時にポーランドに移住したそうです。
では、ショパンの住んだ家、コンサートをした場所、思い出の品、肖像画、胸像などを紹介します。



ショパンのパリ到着から葬儀まで
ショパンは18319月末にパリに到着しました。
パリ到着から死ぬまでの間に、文献によるとパリ市内で9回転居したとされています。(旅行先は含めず)


118319月から18323月まで。
27 Boulevard Poissonnière 2e の建物の(日本式)6階に住んだ。
建物の最上階で、彼は「モンマルトルの丘からパンテオンまでパリの全てが見渡せる。」と書いている。



21832年末から18336月まで
Hôtel cité Bergèreの一室を借りていた。(4 cité Bergère 9e)
今でもこのホテルは営業しています。



318336月から18369月まで
Hotel d’Epinay の一室に住んでいた。(5 rue de la Chaussee d’Antin 9e
現在この建物はなくなり、アメリカのホテル「W」に取って代わられ、住所の番地は従業員出口となっている。従業員が外でタバコを吸っていたので尋ねてみると、ショパンが滞在していた事は誰も知らなかった。



418369月から18399月まで
38 rue de la Chaussee d’Antin 9e
現在その建物は無いが、2部屋のアパートを3か月ごとに425F払っていたという記録がある。彼はここで、リストなど親しい友人を呼んで数回音楽サロンを開いた。
現在のギャラリーラファイエットの東向かい側でH&M。



518391011日から184111月まで
5 rue Tronchet 9e
マドレーヌ寺院の裏手。
スペイン・マジョルカ島、ジョルジュサンドの別荘があるNohantから帰ってくると、この住所の(日本式)2階に住んだ。



61841112日から
16 rue Pigalle 9e
ジョルジュサンドが住んでいたピガール通りに移る。
文献では16番地となっているが、現地の16番地には特に表記はなく、代わりに20番地に碑文が掲げられている。逆に20番地の碑文に関しては、文献上には無いので、文献が間違いと思われる。
このピガール通りと次のオルレアン・スクエアーの居住に関しては、幾つかの文献上で多少の混乱が見られる。



71842929日より18496月まで
9 square d’Orleans 9e、入口は 80 rue Taitbout に面している)

恋人のジョルジュサンドは1842年から1847年まで5番地に住み、ショパンは9番地の地上階(日本式1階)に住んだ。但し、その間1848年の4月から11月までは英国に渡っていた。



818496月上旬から住み10週間後(8月まで?)に転居した。
74 rue de Chaillot 16e)この住所の(日本式)3階に住んだ。

このシャイヨー通りは、現在、奇数番地は53番、偶数番地は30番までしかなく、その先の通りが改名してしまったか、当時のシャイヨー通りは全く別の通りであったことが考えられるが、パリのショパン協会のフランス語文献では、現在のトロカデロ広場に近いとある。この夏の期間家賃として400フランを支払った。住所特定不可能。



918499月末から終末
12 place Vendome 1er
現在は高級宝石店ショーメの店舗
この中庭に面した2階
ショパンが最後に見たであろう中庭には
現在高級宝石店の顧客用ヘリポートが

彼の姉・ルドヴィカとこの建物の中庭に面した(日本式)2階に住み、18491017日肺結核の為、午前2時に旅立った。享年39歳。



マドレーヌ寺院

彼の死から約2週間後の1030日に葬儀が行われた。約3000人が参列した。
彼の遺体は次のペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、心臓だけは取り出して、祖国ポーランド、ワルシャワの教会に収められた。

ペール・ラシェーズ墓地のショパンの墓





ショパンにまつわるその他の場所


Hôtel Cromot-du-Boug
9 rue Cadet 9e
1832226日、パリで初めてのコンサートをこのホテルのサロンで行った。現在は、この建物は改装中。



昔のコンセルヴァトワール(高等音楽院)
2 rue du Conservatoire 9e

1832520日、
モスクワ皇太子のコンサートで演奏した。



Salons Pleyel
22/24 rue de Rochechouart 9e
昔はここがPleyelのサロンだったらしいです。
今では区の文化センター?


Hôtel Lambert
2 rue Saint-Louis-en-l’Isle( または1/3 quai d’Anjou) 4e

ポーランドのチャルトリスキ王子に迎えられ、パリ滞在の足掛かりになった場所。



Salle Le Peletier
12 rue Le Peletier 6e

以前のオペラ座(?)がここにあったそうです。現在は色々な企業が入っています。日本の東京海上火災保険パリ支社など。



ショパンに関する遺品、ゆかりのある品

ショパンの肖像画(ドラクロワ作)
ルーブル美術館、シュリー翼(日本式)3階・942番展示室
この肖像画は、本来左にジョルジュサンドと一緒に描かれていたが、後に2つに切り取られてしまった。左のジョルジュサンドの肖像はデンマークの個人収集家が所蔵している。



リュクサンブール公園のショパンの胸像



モンソー公園のショパンの彫像



ロマン派美術館のショパンの左手の型




ショパンが引いたピアノ
Musée de la Musique(音楽博物館、Cité de la Musique・日本式419世紀・ヨーロッパのロマン派展示場)
ちなみにリストの引いたピアノもあります。




 次にサンルイ島にある、ポーランド歴史文学協会・図書館内のショパンの間をご紹介します。図書館内にはショパンの間以外にも、ポーランドの詩人・文学者を紹介する博物館となっています。
ショパンの間は、6畳くらいの小さな部屋ですが、パリ市内では一番遺品が揃っております。
本来、写真撮影禁止ですが、特別に許可を頂きました。日本語のとても見やすい解説書も用意されていました。



ショパンの版画像



「マズルカ ハ短調 作品6-2」自筆譜



ルドヴィック・ブラテル伯あてのショパンの手紙
(ポーランド語)



ポーランド文芸協会の登録リスト
リスト・左側上から4番目にショパンの名前が見える。



胸像各種



残念ながら、このピアノを弾いたか完全には
確認されていないらしい。



ショパンの左手の型


ショパンの髪の毛が収められたロケット



愛用のソファー、ヴァンドーム広場のアパートにて




ショパン死後の遺品オークションの告知ポスター
葬儀から1か月後の1130日開催



デスマスク


ドラクロワが描いたショパン像をエッチングした物
オメル・ブッシュリー作





その他、ショパンにちなんだ場所

Hôtel Chopin
Passage Jouffroy内、一番奥にある。
但し、ショパンには関係ないらしい




Place Chopin ショパン広場
16区メトロ・ミュエット駅近くにあるが、ショパンのロマンチシズムや繊細さなど全く感じられない単なる交差点?




15区のConservatoire Frederic Chopin
特にショパンが勉強したわけではないが、
彼にちなんだ区の音楽芸術会館



 まだ、ショパンに由来する施設はいくつかありますが、これだけでも、彼がパリジャンから如何に愛されていたかが良く分かると思います。

また、6月の最終週から7月の中旬まで、パリでショパン音楽祭も開催されます。
恐らくワルシャワにはこれ以上の博物館・史跡があるのでしょうね。いつか訪問してみたいです。

長文、お付き合い有難うございました。